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戦国時代
兜
伊達政宗
海外「戦国時代、武将の兜はなぜあんなに奇抜になったのか」歴史好き外国人が議論【海外の反応】
「r/Samurai」に、「武士の兜が奇抜になっていった時代」というタイトルの投稿がありました
When Samurai Helmets Got Weird
by u/Mammoth-Inspector891 in Samurai
📮 投稿主(OP)の投稿(要点のみ)
武士の兜が奇抜になっていった時代
室町時代までの日本の甲冑は、赤糸縅のような伝統的な様式が基本だった。だが戦国時代になると、外国の影響や戦い方の変化、武士の自己表現の強まりで、甲冑の意匠はずっと多様になった
伊達政宗は代表例。ただ彼の甲冑は戦国の基準ではむしろ控えめで、兜の大きな三日月と、黒い五枚胴くらい。シンプルなのに一目で分かる
一方で、現代の日本人でも「本当にこれをかっこいいと思ったのか?」と立ち止まるような兜も出てきた。蟹の爪、蝶、巨大な角、植物、動物…今見るとコミカルな飾りもある。でもただの装飾ではなく、遠くから武将を見分けるためのもので、個性や信念、野心、戦場での加護への願いも表していた
伊達成実は、さらに奇抜な巨大な毛虫の飾りを使った。毛虫はムカデと同じく「退かない」という意味と結び付けられた
戦国が終わると、変わり兜の流行は次第に廃れ、今は博物館に残っている
💬 海外の反応
r/Samurai コメントより
海外の反応
こういう飾りって、自分で戦う予定のない指揮官だけが着けてたって印象だったんだけど。実際は違うのか? 個人戦だとめちゃくちゃ不便だろうし
👍 22
海外の反応投稿主の返信
戦国時代でも、指揮官は普通、徒歩の乱戦で刀を振るったりしない
総大将は本陣で指揮を執って、現場の指揮官は騎乗して槍などの長い武器で戦うことが多かった。指揮官が刀を抜いて近距離で戦うようなら、もうだいぶ状況が悪いはず
あの奇抜な飾りは、木や革、張り子みたいな軽い素材で作られたものが多くて、重要な武将を遠くからでも見分けやすくする役目があった。三日月、角、毛虫、蟹の爪も、実用性がないとは限らない。個人の象徴であり戦場の目印だったんだよ
総大将は本陣で指揮を執って、現場の指揮官は騎乗して槍などの長い武器で戦うことが多かった。指揮官が刀を抜いて近距離で戦うようなら、もうだいぶ状況が悪いはず
あの奇抜な飾りは、木や革、張り子みたいな軽い素材で作られたものが多くて、重要な武将を遠くからでも見分けやすくする役目があった。三日月、角、毛虫、蟹の爪も、実用性がないとは限らない。個人の象徴であり戦場の目印だったんだよ
海外の反応
ありがとう!
海外の反応
あれは簡単に外せるようになってて、掴まれないようにしてたんだよ
あと馬で森を走ると木に引っかかるから、移動中も外してた
あと馬で森を走ると木に引っかかるから、移動中も外してた
海外の反応投稿主の返信
それは一部しか当たってない
派手な飾りは、前立や脇立みたいに兜の鉢とは別の部品のものが多い。政宗の三日月がその例。ただ「別の部品」が「簡単に外れる」とは限らない。ピンなどでしっかり固定されてた現存例もあるから、「掴まれたら外れる設計だった」は言い過ぎ
森で外すのが普通だったって証拠も見たことがない。あと加藤嘉明の富士山の兜みたいに、形そのものが軽い素材で兜に作り込まれてるものもある
「掴まれたら外れた」も「森では普段外してた」も、信頼できる一般則じゃないよ
派手な飾りは、前立や脇立みたいに兜の鉢とは別の部品のものが多い。政宗の三日月がその例。ただ「別の部品」が「簡単に外れる」とは限らない。ピンなどでしっかり固定されてた現存例もあるから、「掴まれたら外れる設計だった」は言い過ぎ
森で外すのが普通だったって証拠も見たことがない。あと加藤嘉明の富士山の兜みたいに、形そのものが軽い素材で兜に作り込まれてるものもある
「掴まれたら外れた」も「森では普段外してた」も、信頼できる一般則じゃないよ
海外の反応
なるほどな、ありがとう
海外の反応
かっこいいのもけっこうあったよな。お気に入りは鹿の角を付けた本多忠勝
海外の反応
変わり兜って、実際よりずっと一般的だったと思われてるんじゃないか
派手な兜は大名や上級武士だけで、戦うより指揮するのが役目だったからだ。大名の兜を長い柄に付けて、戦場の旗印や集合地点にすることもよくあった
派手な兜は大名や上級武士だけで、戦うより指揮するのが役目だったからだ。大名の兜を長い柄に付けて、戦場の旗印や集合地点にすることもよくあった
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江戸時代に入ってから、兜も前立もさらに派手になったぞ。戦国にも変わったのはあったけど、それでもある程度は実用的じゃないといけなかった。戦が終わってからが、ぶっ飛んで凝りまくった時代だ
海外の反応
こういう兜は、中世の欧州の凝った兜とよく似てる
凝ってるほど実戦に出る可能性は低い。将軍向けの見せ物で、槍衾で戦う連中のものじゃない
日本の中世の戦いって、煙くて汚くて血まみれで、わけ分からなくて危険だろ。そこで馬に乗った鎧の男の指示に従うわけだ。そいつの兜にデカい蟹が付いてたら見分けやすくて都合いいよな。俺と仲間はみんな同じ兜か笠なのに
凝ってるほど実戦に出る可能性は低い。将軍向けの見せ物で、槍衾で戦う連中のものじゃない
日本の中世の戦いって、煙くて汚くて血まみれで、わけ分からなくて危険だろ。そこで馬に乗った鎧の男の指示に従うわけだ。そいつの兜にデカい蟹が付いてたら見分けやすくて都合いいよな。俺と仲間はみんな同じ兜か笠なのに
海外の反応投稿主の返信
見分けるためって部分はほぼ正しい。でも「凝った兜ほど実戦に出なかった」は成り立たない
変わり兜や大きな立物は、大軍になって個人の識別が大事になった戦国期にこそ流行した。実例もあって、黒田長政は関ヶ原で一ノ谷形の兜をかぶってたと記録されてる。家臣の黒田一成は巨大な脇立で目立ちすぎて、敵の銃撃を受けたという話もある
目立つことが目的の一部で、危険でもあった。ただ江戸の平和な時期に作られた儀礼用もあるから、兜ごとに見ないといけない。地位の印と戦場の目印は両立するんだよ
変わり兜や大きな立物は、大軍になって個人の識別が大事になった戦国期にこそ流行した。実例もあって、黒田長政は関ヶ原で一ノ谷形の兜をかぶってたと記録されてる。家臣の黒田一成は巨大な脇立で目立ちすぎて、敵の銃撃を受けたという話もある
目立つことが目的の一部で、危険でもあった。ただ江戸の平和な時期に作られた儀礼用もあるから、兜ごとに見ないといけない。地位の印と戦場の目印は両立するんだよ
海外の反応
大将が戦ってるなら、その戦はもう負けてる
兜に凝った飾りを付けたら殺傷力はかなり落ちる。重いし、頭に付いてる掴める物を敵に与えるし…あと3つ目もある
兜に凝った飾りを付けたら殺傷力はかなり落ちる。重いし、頭に付いてる掴める物を敵に与えるし…あと3つ目もある
海外の反応投稿主の返信
軍全体の総大将と、戦場の指揮官や上級武士を全部ごっちゃにしてないか
軍を率いる大名が最前列で足軽と槍を突き合うことはない。でも主要な家臣や現場の指揮官が自分で戦わなかったわけじゃない
それと「凝った」=「重い」とも限らない。革や木、張懸みたいな軽い素材で作られてて、巨大な飾りでも数十グラムしかない現存例がある。金属の巨大な塊を頭に付けてるって比較はズレてる
掴まれる可能性はあっても、戦に向かない兜だった証明にはならない。目立つ見た目は欠点じゃなくて、役割の一部だったことも多い。「凝った兜=戦わない儀礼用の指揮官」って線引きは、現存する甲冑や歴史的背景からは支持できないよ
軍を率いる大名が最前列で足軽と槍を突き合うことはない。でも主要な家臣や現場の指揮官が自分で戦わなかったわけじゃない
それと「凝った」=「重い」とも限らない。革や木、張懸みたいな軽い素材で作られてて、巨大な飾りでも数十グラムしかない現存例がある。金属の巨大な塊を頭に付けてるって比較はズレてる
掴まれる可能性はあっても、戦に向かない兜だった証明にはならない。目立つ見た目は欠点じゃなくて、役割の一部だったことも多い。「凝った兜=戦わない儀礼用の指揮官」って線引きは、現存する甲冑や歴史的背景からは支持できないよ
海外の反応
中世日本軍の階級は詳しくないけど、大名、将軍、下級武士、足軽って感じだとするぞ
下級武士は今の中尉や大尉みたいな立場で、仕事は戦うより指揮。でも自分で戦う可能性は高い。ただそういう連中は派手な兜は着けてなくて、家紋くらいの控えめな印が付いた普通の兜だったと思う。農民は笠とか、ナルトみたいな鉢金(名前は知らんw)だろ
今の軍隊みたいな厳しい服装規定もなかったから、下級武士が派手な兜を持つ可能性も、農民が本物の兜と鎧を持つ可能性もゼロじゃない。ただ家の財力的に可能性が低かっただけで
下級武士は今の中尉や大尉みたいな立場で、仕事は戦うより指揮。でも自分で戦う可能性は高い。ただそういう連中は派手な兜は着けてなくて、家紋くらいの控えめな印が付いた普通の兜だったと思う。農民は笠とか、ナルトみたいな鉢金(名前は知らんw)だろ
今の軍隊みたいな厳しい服装規定もなかったから、下級武士が派手な兜を持つ可能性も、農民が本物の兜と鎧を持つ可能性もゼロじゃない。ただ家の財力的に可能性が低かっただけで
海外の反応投稿主の返信
だいぶ実態に近いけど、それでも「大名→将軍→下級武士→足軽」って分け方は整いすぎで現代的
「武士」って幅がすごく広い。大身の家臣、現場の指揮官、地方の領主、騎馬の家臣、足軽の指揮官、ごく下っ端まで、財力も責任もばらばらだった。足軽も、ただ駆り出された農民じゃなくて、主君が装備を与えた組織された兵も多い
木下藤吉郎、のちの秀吉は、信長のもとで低い身分から始めて、軍事と行政で出世して城主になった。どの時点で急に「立派な兜を着けていい身分」になるのか? はっきりした線はなかっただろう
財力のある上級武士ほど高価な鎧を用意しやすくて、足軽は陣笠や支給の鎧が多かったのは確か。でも「下級は地味、上級の指揮官は変わり兜」って単純化は正確じゃない。目立つ兜や旗指物が大事になったのは、自分を識別させて働きを認めてもらう必要があったからだよ
「武士」って幅がすごく広い。大身の家臣、現場の指揮官、地方の領主、騎馬の家臣、足軽の指揮官、ごく下っ端まで、財力も責任もばらばらだった。足軽も、ただ駆り出された農民じゃなくて、主君が装備を与えた組織された兵も多い
木下藤吉郎、のちの秀吉は、信長のもとで低い身分から始めて、軍事と行政で出世して城主になった。どの時点で急に「立派な兜を着けていい身分」になるのか? はっきりした線はなかっただろう
財力のある上級武士ほど高価な鎧を用意しやすくて、足軽は陣笠や支給の鎧が多かったのは確か。でも「下級は地味、上級の指揮官は変わり兜」って単純化は正確じゃない。目立つ兜や旗指物が大事になったのは、自分を識別させて働きを認めてもらう必要があったからだよ
海外の反応
今の軍隊に士官と下士官の区別があるのは、封建時代の名残なんだよな
10年勤めて軍曹になれば、指揮も戦い方も分かってる。そこに大卒の坊やが少尉として突然やってきて、お前の上官になる。初日から給料も少し上で、そこから跳ね上がっていく
そいつがそうなれるのは騎士だからだ。ウェストポイントにいた頃は従者で、Virginiaの軍学校では小姓だった。その学費をどうやって払えた? 親父が将軍から上院議員になったからだ。それに比べてお前は貧乏
10年勤めて軍曹になれば、指揮も戦い方も分かってる。そこに大卒の坊やが少尉として突然やってきて、お前の上官になる。初日から給料も少し上で、そこから跳ね上がっていく
そいつがそうなれるのは騎士だからだ。ウェストポイントにいた頃は従者で、Virginiaの軍学校では小姓だった。その学費をどうやって払えた? 親父が将軍から上院議員になったからだ。それに比べてお前は貧乏
海外の反応
あと武士は戦場で名乗りを上げて、武功の認定や恩賞をもらってたんだよな。名を上げるにはいい方法で、特に名の通った武士の首を取ればなおさらだ
まとめ
このスレッドを3点で整理
- 1 戦国時代に武士の兜が奇抜になっていった背景を解説する投稿がr/Samuraiに立てられ、蟹の爪や巨大な毛虫の飾りなどが目印や願掛けの役割を持っていたと紹介されました。
- 2 「派手な兜は戦わない指揮官のもの」「飾りは簡単に外せた」といったコメントに対し、投稿主は軽い素材で作られていたことや実戦での使用例を挙げて、一般化を避けるべきだと反論しました。
- 3 身分と装備の関係や、名乗りを上げて武功を認めてもらう習慣なども話題になり、変わり兜は識別や自己表現の手段でもあったという見方が共有されました。
戦国中期から戦場に無知無学の足軽が激増したので、それまでは武士として当然の前提知識だった家紋に関する膨大な教養が無く(似た例では欧州封建社会でも紋章学は貴族の嗜み)、旗印に書かれた漢字すら読めない兵士が増えたからと言われているな。
返信削除指揮官:うちの部隊は「向かい鶴」の家紋じゃ
兵士:「向かい鶴」とか何だかわかりません
指揮官:「蒲生」の旗印について行くんじゃ
兵士:そんな難しい漢字読めません
指揮官:ええい!銀の鯰の兜をかぶって最前線で戦っている方について行け!それがうちの殿じゃ!
兵士:それならわかります
ワロタw
削除信長や家康とかって戦のたんびに新調してるイメージがあるよな
返信削除まぁ前もって作らせてたんだろうけど
日本人は普段は集団から突き出ないように行動するけど、お祭りとか非日常の場での自己承認欲求は高いと思う。祭の振る舞いやヨサコイなど、どんどん競い合いがエスカレートして場を盛り上げたがる性質があるよね。戦場なんかでは賞与が絡んでくるのもあるけど、結局そういうのの延長線としか思えんw
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