海外「武士って武術サボるとどうなるの?」海外板の歴史ファンが本格的な考察を展開【海外の反応】

2026年9月26日土曜日

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海外「武芸をサボった武士はどうなったのか」という質問に海外の歴史ファンが本格的な考察を展開【海外の反応】
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海外「武士って武術サボるとどうなるの?」海外板の歴史ファンが本格的な考察を展開【海外の反応】

出典:r/Samurai

武士は社会の中で武器の所持を許された数少ない存在であり、当然武芸の鍛錬を求められていたはずですが、実際に鍛錬を怠った武士がどのような扱いを受けていたのかという疑問がr/Samuraiに投稿されました。

この投稿に対し、多くの海外ユーザーから日本史に関する本格的な考察や具体的な逸話が寄せられました。

📮 投稿主(OP)の投稿
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武芸の鍛錬を怠った武士はどうなったのか

武士は社会の中で武器の所持を許された数少ない存在だったはずなので、鍛錬を積むことが期待されていたと思う。

そうでなければ、領主はどうやって領地の軍事力を維持していたんだろうか。

では、戦が下手なことで武士が叱責されたり罰せられたりするのはどんな状況だったんだろうか。領主はどうやって家臣たちの戦闘準備の状態を把握していたんだろうか

追記:みんなが指摘してくれた通り、武士は他の方法でも主君に仕えることができたっていうのは分かった

それはもっともな指摘だ。


でも領主にはやっぱり実際に戦える武士も必要だったはずだ。

どうやって家臣たちに鍛錬を続けさせるよう仕向けてたんだろうか。そして本当に使えない武士に対してはどう対処してたんだろうか
💬 海外の反応
r/Samurai コメントより
海外の反応
武士階級に属してた家臣の多くは、武器を持ってはいたけど、時代と財政が許す限り行政官として働いてたんだよ。

武士は軍事行動に参加することを期待されてたけど、行軍中でもその才能は前線から離れた場所で活かされることの方が多かった。


武家には、戦うことを期待される者たちの日頃の鍛錬を維持・管理する役割の専門職まであったんだ

戦が下手な武士でも、他に得意なことがあれば全然無能ってわけじゃなかったぞ。

もし全体的に無能なら、いずれ他の武士がその誇りを打ち砕いて、公然と守るか失うかしなきゃいけない状況に追い込むことになる。

武士に武器を持たせる目的って、農民を適当に殺すこと以外だとだいたいそういうことなんだよな。


彼らの競争心のおかげで、上の人間がわざわざ介入しなくても弱い者は自然とあぶり出される仕組みになってたんだ
海外の反応
武士は単に戦う人たちってだけじゃなくて、社会階級の1つだったんだよな。

今の時代も軍隊に入っても全員が前線に立つわけじゃないだろ

それと似たようなもんだ。


あと初期の頃は、戦に行く人が全員武士だったわけでもないんだよな。ほとんどは農民で、槍持たされて行けって言われただけ。中には基本的な訓練を受けた者もいた

メディアで描かれる武士の軍隊のイメージと実際はかなり違うんだよな。例えば中世後期の日本の軍隊(特に15世紀末から17世紀初頭の戦国時代)だと、だいたい20%がしっかり訓練された武士で、80%が基本訓練だけ受けた足軽だったんだ
海外の反応
死ぬだけだろうな、そうなれば領主もわりとすぐに力を失うことになるぞ
海外の反応
いつの時代を示しているかによって変わる事になりますね。

江戸時代、戦国時代、室町時代まぁ遡ればその地位や行動も変わる訳です

農民と侍(武士)の境界が曖昧な時代も長くあったのです。自然に学んだことなので何かテキストと言われても失念していて出てきませんが。
海外の反応
お前が言ってるような状況はそもそも起きなかったと思うぞ。

十分な練習と訓練があれば誰でもそこそこ戦えるようになるからな。


世界中どこの軍隊にも一番強くない歩兵はいるけど、2年以上繰り返し訓練すれば戦闘環境で機能できる人間にはなるんだよ

あと大抵の場合、みんなが日本史について語る時にイメージしてるのは実は徳川幕府の時代なんだよな


250年の平和で有名な時代だ。

この頃武士のほとんどは行政官になってた。

でも武士同士の決闘とか絵画とか詩とか、俺たちが「武士らしさ」だと思ってるものの多くは、この時代になってからようやく発展したものなんだよ

騎士とかローマ軍団兵とかモンゴル戦士とかスパルタ人とかで、全く戦えない奴なんていなかったぞ。

もちろん全員が戦闘の神ってわけじゃなかったけど、文化全体が有能な戦闘員を作ることに捧げられてたら、だいたいうまくいくもんなんだよな。


こういう状況が見られるのは、長い平和が続いた時期か、その戦士階級が近代歩兵に取って代わられて衰退していく時期くらいのもんだ

お前の想定してるような状況を成立させるには、訓練するには怠けすぎてる甘やかされた金持ちのボンボンと、訓練させる仕組みや社会的圧力が弱い状況、そして戦闘技術がなくても生き延びられる環境が必要になるんだよな。

だから徳川幕府時代の大名同士の非合法な小競り合いくらいしか当てはまらないかもしれない、その場合はどっちか、あるいは両方が後で切腹を許されることになるわけだけど。

それすら本当に稀なケースで、こじつけっぽいくらいだけどな
海外の反応投稿主の返信
武士の身分って獲得するものじゃなくて世襲するものだったんだよ
海外の反応
うん、でもそれってどこの戦士文化でも同じじゃないか?

俺が挙げた文化も全部そうだぞ。

病気とかで実際にその役目を果たせないくらいの場合は別だけど。騎士だって建前上は自分で叙任資格を勝ち取るもんだったしな。

世界中の中世史を30年以上研究してきたけど、騎士の息子が騎士にならなかったケースなんて1件も聞いたことがないぞ。

まあ田舎の郷士でいるのが流行りだした時期は別だろうけど、それも騎士の地位がほぼ形式的なものになってからかなり後の話だしな
海外の反応
質問がかなり表面的だから、こういう反応になってるんだと思うぞ。

お前の頭の中には「武士」とか「領主」について結構具体的なイメージがあるみたいだけど、それはお前にとっては当たり前でも他の人には全然伝わってないんだよな。

西暦1000年から1850年までの誰の話にもなり得るし、身分の低い一個人の話から、家臣3から5人くらいの武家の話、丸ごと1つの領地を治める大名の話まで幅広すぎる

だからみんな色々な回答をしてるんだけど、それはお前が何を知ってて何を知らないのか、本当は何を聞きたいのか、それぞれ勝手に想定して答え始めなきゃいけないからなんだよな。

もう少し具体的に何を想定してるか教えてくれないか?いつの時代?どこの場所?誰のこと?
海外の反応
本多正信って戦に行かないことで知られてなかったっけ?

戦略とかの方で役に立ってたタイプだよな
海外の反応
豊臣秀吉、当時は羽柴秀吉って呼ばれてたけど、そいつを見てみろよ。

まだ大名じゃなくてただの武士だった頃、個人の武芸の腕前は下手だったんだよな
海外の反応
はい。道場がありました。
剣道はご存知ですか?

竹製の竹刀でパターンにはまった、様式美的な剣術を一対一で行う。

これが江戸時代に求められた、、武士に生まれた若者の教育機関だったんです。

若者が死んではいかんので本物は使わない。

できる限り大勢で授業を進めたいから一対一の試合形式、などなど。
数年学ぶとお師匠さんは免許状を出してくれます。

これがないと若者は就職もできないんです。免許状には腕前の程も書いてあります。

お師匠さんは地方政権と信用に関係にあるので、免許状に嘘は書きにくい。

でも裕福な武家の子弟は、お金を積んで免許状を早く楽にもらったりもしました。

有名な先生の指導を受けると就職に有利なので、江戸には有名道場がいくつも競い合っておりました。

そこでは戦国時代の授業もあったりして、例えば宮本武蔵は伝説が誇張されスーパーマンになります。

武田信玄も最強伝説を盛られた武将の典型です。徳川家を圧倒したのは確かですし滅んでいるからクレームがない。
そう言う学習塾で、武家に生まれた若者は一定の技量と知識を得ていたんですよ。
海外の反応
道場は漫画の舞台としては古典的な部類ですよね。同世代の若者が集まります。
新撰組も、元は同じ道場の若者グループが始まりです。

道場の授業内容があまりにも優し過ぎるという反発もありました。

鹿児島、薩摩藩では実戦を想定した、本気で相手を殺すことを意図した授業内容の道場がありました。

示現流(じげんりゅう)と言います。検索すれば動画も連絡先も判ります。
彼らの子孫は今も伝統を守り続けています。

戦闘はいつ始まるかわからないという理由で普段着で襲う練習をしたりします。
最初に切ってしまえば勝ちですから、防御の練習はないそうです。
海外の反応
戦が下手なことで恥をかかされた話は見たことあるけど、正式に罰せられた話は見たことないな。

太平記だったと思うけど、下手な武将が乗馬すら下手なのに突撃していって、父親に自分の勇敢さを見せるためだけに討ち死にする話があるんだよな。

孤立させられて、父親がなんとかそこまで辿り着こうと戦うんだけど、結局2人とも死ぬ。

ただ大事なのは、大した武士じゃなかったけど少なくとも勇敢さは示したってことなんだよな。


厳しい人間なら、自分も父親も無駄死にさせただけって言うだろうけど

応仁記には、名門武家出身の若者が最高級の装備で身を固めた話もあるぞ。

輝く絹織物、金メッキの鞘と柄、最高級の弓矢、フル装備の鎧に金メッキの前立て付き兜。京都の市街戦の最中の話だ。味方の武士たちが建物に立てこもった相手と矢の撃ち合いをしてて、みんな身を隠しながら応戦してる中、その若者は堂々と大通りに出てきて、大仰に自分の名前と家系を名乗り上げる。

すぐに顔に矢を受けて死ぬ。


それを見た武士たちは皆涙して、より一層激しく戦ったらしい、馬鹿だったけどすごく勇敢だったからな

つまり言いたいのは、多くの人の目には勇敢さが無能さをある程度埋め合わせるものと見なされてたってことなんだよな。


もっと実利的な考え方の武士も常に存在してて、上みたいな例は馬鹿げてると思ってただろうけど

他の断片的な話だと、訓練で見かけた部隊長とか戦の指揮官が、下手な武士を恥じ入らせたり奮起しろと言ったりしたって話もあるぞ。


でも正直武士階級は戦うだけじゃなくて、事務員とか役人とか兵站とか従者とか伝令とか、そういう役割もかなりの数抱えてたんだよな。戦が下手なら文章の方を頑張った方がいいってことだ。


葉隠を書いた人物は武士としてのキャリアのほとんどを図書係として過ごしてたぞ

実際の16世紀の記録で覚えてるのは、小さな駐屯地を管理してた武士の「班長」の話なんだけど、その人と部下たちは自分たちの食料確保のために農作業したり修繕作業したりしてたんだよな。

その班長自身は読書とか手紙を送ったり帳簿をつけたりすることに多くの時間を使ってたらしい
海外の反応
特定の藩の特定の家臣について聞かないと分からない話だな。

徳川末期になると、戦える武士はむしろお荷物みたいな存在になってて、行政官の方が有能で、下手すると戦える武士の方を更迭できるくらいだったんだよ。

だから多くの藩の民間防衛部隊が無能だった理由の一部でもあるんだよな
海外の反応
それは官僚って呼ばれる人たちだな

このスレッドを3点で整理

  • 1 武器の所持を許された武士は当然武芸の鍛錬を求められていたはずだが、実際に鍛錬を怠った武士はどのような扱いを受けたのかという疑問がr/Samuraiに投稿されました。
  • 2 海外ユーザーからは、武士は戦闘だけでなく行政官や事務職としての役割も担っており、戦が苦手でも他の能力があれば無能とは見なされなかったという指摘が多く寄せられました。豊臣秀吉や本多正信の例も挙げられていました。
  • 3 江戸時代の道場制度や免許制度、太平記や応仁記に見られる勇敢さを重んじる価値観など、時代背景に基づいた具体的な逸話や考察が幅広く寄せられ、質問の曖昧さを指摘する声もありました。

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